311の震災から11年。

11年は長いようで、あっという間。

でも当時震源地周辺で被災された方は、

途方もなく長く辛い日もあったと思います。

11年前の311 私は何をしていた?

11年前、当時はまだ会社員1年目。

隣の上司が行ってくるねと、

打ち合わせに席を立ちました。

少しすると目眩?と思う横揺れ、

ローラーがついている椅子は

かき回されました。

目の前の高層ビルは

プリンのようにふるふる震えていて、

私のいるビルもこんなに揺れているの?

そう思ったとき、命の危険を感じました。

揺れが落ち着いて、

上司に電話しても繋がらない。

この日は電話回線が混線していましたね。

1時間後、エレベーターに

閉じ込められたと言いながら帰ってきた上司。

本当に安心しました。

その時、どこにいるかで

身の安全性が全く変わるなんて

考えたことがありませんでした。

そして11年前の311は、

とてもとても寒かった。

なんでこんな日に限って

特別に寒いんだろうと思いました。

私は電車では帰宅できず、

会社の近くに住む同期の家に

複数人で泊めてもらったのは

楽しい思い出でもあります。

ニュースで見る映像は

現実とは思えなくて、

震災地にいる知人の安否を思うと

言葉にできない気持ちになりました。

本当は怖くて仕方なかったけど、

笑って過ごせる仲間がいてよかった。

11年経っての311

私の通っていた中学校は

岩手県と宮城県に

農業体験をさせるという行事がありました。

ありがたいことに、

当時の農家さんと今でも親族のように

贈り物をいただいたり

季節の挨拶をしています。

石巻から送られてきた、メカブやワカメ。

夏休みには遊びに行って、

田舎のない私にとっては

とても魅力的な環境でした。

そのご家庭の親族も津波にのまれ

いまだに身体は帰ってこない。

娘さん家族は住む家を失い、

幼い子どもを連れて

関東へ引っ越してきた。

できることをと思い

衣類や家具をお渡ししたくても、

申し訳ないといつも言っていた。

でもいつ誰がその立場になるか分からない。

辛い時に辛いと言って、

頼れる人には頼ってほしい。

11年経って記憶が薄れてしまうかもしれない。

でも何度でも思い出して、

平穏な日常の有り難さを噛みしめたい。

朝、神社へお参りへ行ったら

保育園児さんが避難訓練をしていて、

訓練だけで終わるといいなと、

ただただ平和を祈る時間でした。

311を忘れない。